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横浜地方裁判所小田原支部 平成6年(ワ)188号 判決 1998年10月23日

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  原告らの請求

被告は原告らに対し、各金二六五三万二二四〇円及びこれに対する平成六年四月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  当事者

原告らは平成五年三月二四日死亡した甲野夏子(平成元年六月二五日生。夏子)の父母であり、被告は学校法人で、神奈川県相模原市北里<番地略>において、外科、内科、循環器科、小児科等を含む総合病院である北里大学病院(被告病院)を設置運営している。

2  夏子の治療経過

夏子には出生時から心臓動脈弁の一部が欠損している先天性の心内膜床欠損症があり、神奈川県立厚木病院で定期的に検査を受け、同病院の医師より将来手術の必要があることを告げられていたところ、同病院医師の紹介を受け、夏子は平成四年一一月五日、被告病院小児科を受診し、心内膜床欠損症の診断を受けたのち、被告病院で心カテーテル検査を受けることになり、平成五年一月二七日、被告病院に検査入院し、同月二九日、心カテーテル検査を受け、同年二月一日退院した。

夏子は右検査を受けたのち、同月一〇日、被告病院で再度受診し、その際、胸部外科の中江世明医師(中江医師)により心内膜床欠損症及び僧帽弁閉鎖不全との確定診断を受け、手術すべきことを勧められ、原告らは、夏子が風邪気味であったが、同月一五日、採血検査等を受けた結果、若干の炎症反応があるものの、手術を受けても大丈夫との同医師の説明であったので、被告との間で右疾患の手術を目的とする診療契約(本件診療契約)を締結し、同月一六日、夏子は被告病院3A小児病棟に入院した。

3  本件手術の施行

平成五年二月一八日、中江医師の執刀により夏子の一次中隔欠損孔閉鎖、僧帽弁亀裂修復、弁形成の手術(本件手術)がなされた。当初の説明では右手術の所要時間は六時間位との見込みであったが実際には一二時間程かかった。中江医師の説明では思ったより弁の状態が悪かったとのことであった。

4  手術後の経過

<1> 手術後の夏子は一週間ほどICU(集中治療室)で治療を受けたが、頻繁に歯ぎしりするようになるなど手術によるストレスを受けているようであり、水分制限を受け、口唇が割れたり、口内炎を起こしたりし、頭部の一部に紫色の痣のようなものもできたが、医師の説明ではこれも手術によるストレスが原因とのことであった。夏子はその後、同月二六日、被告病院三階の3A小児病棟のHCU(ハイケアユニット)の病室に移された。

<2> ところで、夏子は本件手術の際、身体の下に敷かれる温マットに長時間寝かされていたため、背中部全体、尻や両足に低温火傷になっていたものであり、こうした状態のもと体力を低下させていった。

5  MRSAの感染

<1> 夏子が移された3A小児病棟のHCUのベッドは特に他の病棟と隔離されたものではなく、他の病気を持った児童たちと一緒の場所であり、またベッドの周辺には処置室やトイレがあり、トイレはほとんどいつも開け放しの状態であり、トイレ内には洗濯衣類を置く篭が置かれているといった状況であった。

<2> その後同年三月三日頃までは夏子の手術創部はきれいで発熱もないが、肺部に雑音があり、元気がない状態が続いていたが、同月四日に体温が三八・七度まで上昇し、同月五日に体温が三九・二度に上昇し、左胸腔ドレーンからやや黄色い膿状の胸水の排出があり、手術創部からも黄色い膿の排出があり、同月六日に夏子の胸水からMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)が検出されたの結果報告があり、同日からMRSA除去のため抗生物質バンコマイシンの投与が開始されたが、それ以降、MRSA感染症は改善せず、さらに手術創部に中隔膜洞炎を併発し、夏子の症状は悪化を続けた。

<3> 同月八日、夏子は3A小児病棟のHCUの室内で、それまでの真ん中辺りのベッドから処置室近くのベッドに移ったが、同所も天井の回りにカーテンレールが設置されているものの、昼間はほとんどカーテンも開かれている状態の場所であった。原告らは、その後まもなく中江医師から夏子が感染症にかかっていると告げられた。中江医師の説明ではMRSAが見つかったが血液には感染していないから大丈夫とのことであったが、夏子の病状は回復しなかった。

<4> 同月二三日、夏子の体温は三八度から三九度になり、血液中の酸素濃度が低下し、さらに呼吸停止、心停止になり、延命措置が講ぜられたが奏功せず、遂に同月二四日午前七時頃、死亡した。

6  被告の注意義務

被告には本件診療契約に基づき、入院中の夏子に対して本件手術を行うに際し、また手術前後における夏子の体調の管理につき万全を期し、MRSAなどの院内感染症に羅患しないように十分な管理をすべき注意義務があり、殊にMRSAについては近年その発生と病院における衛生管理が問題とされており、病室の床、洗面所、トイレの水道の蛇口などに感染源としての耐性菌が付着していることのあることが指摘されているところであり、被告には感染防止対策として施設汚染の定期的検査や病院内における対策委員会などの対応組織の設置などの対策を講ずべき注意義務があった。

7  被告の注意義務違反

<1> しかして、MRSA検査は簡単な培養検査であり、幼児に対する心臓手術という長時間の大きな侵襲を伴う行為をする場合にはその前に検査をし、MRSAに感染していることが判明すれば、一時的に手術を回避するなどの適切な措置を取ることができたものであり、被告病院では夏子に本件手術をすれば、夏子が体力を低下させ、通常人に比べてMRSAに感染し易い易感染性患者(コンプロマイズドホスト)になり、易感染性患者になってからMRSAに感染すれば、難治であるので、予防のため夏子について入院前又は手術前にMRSAに感染しているかどうかの有無を検査すべきであったのにこれをせず、漫然本件手術をしてMRSAに感染させた。

<2> 被告病院では本件手術中に温マットの温度調節等に意を注がず、手術中における夏子の体調管理を怠り、夏子の背中部全体や尻などに低温火傷を発生させ、夏子の体力を一層低下させる原因を作り、こうして深度の低温火傷を負っていたうえ、夏子が幼児で、心臓手術により極めて体力を低下させ、免疫の低下した状態にあり、易感染性患者であったので、MRSAの感染防止のため、手術後の夏子を個室に収容して隔離すべきであったのにこれをせず、入院児以外にも入室が可能で、他の児童と一緒で、開放された洗面所やトイレットに近接しているHCUに入室させ続けて夏子の体力回復に意を尽くさず、適切な術後管理をせず、そのため、夏子はHCUに移った二月二六日以降にMRSAに感染してその後発症した。

<3> 夏子のMRSA感染時期は手術後HCUに移った二月二六日以降であるところ、被告病院ではMRSAの感染防止のためには被告病院職員に対して定期的なMRSA感染検査をすべきであるのにこれをせず、MRSAの感染防止のためには病院内の細菌の有無を定期的に調査(サーベイランス)すべきであるのにこれをせず、またHCU内の汚物管理が十分ではなく、適切な術後管理をせず、夏子を院内感染症のMRSAに羅患させた。

<4> したがって、被告は本件診療契約の債務不履行による損害賠償責任がある。

8  損害

<1> 葬儀費用 金一〇〇万〇〇〇〇円

<2> 逸失利益 金二四五六万四四八〇円

夏子は死亡時三歳九月の幼児であるが本件医療過誤がなければ一八歳から六七歳まで稼働可能であり、夏子の逸失利益については平成四年度賃金センサス女子労働者一八歳平均年間賃金二〇二万三三〇〇円に新ホフマン係数一七・三四四を乗じ、生活費控除割合を三〇パーセントとして算出した前記金額とするのが相当である。

<3> 慰謝料 金二五〇〇万〇〇〇〇円

原告らは被告病院の医師の勧めにより夏子に心臓手術を受けさせたものであり、わが子の健康を願って入院、手術をさせながら被告病院側の過誤により夏子が死に至ったことによる原告らの受けた精神的苦痛は大であり、慰謝料としては前記金額が相当である。

<4> 弁護士費用 金二五〇万〇〇〇〇円

被告は任意に賠償に応ぜず、そのため、原告らはやむなく弁護士である原告ら訴訟代理人により本訴の提起追行をせざるを得なくなったものであり、本件医療過誤と相当因果関係のある弁護士費用は前記金額が相当である。

(以上合計 金五三〇六万四四八〇円)

<5> 相続

原告らは夏子の父母で相続人(相続分は各二分の一)であり、他に相続人はいない。

9  よって、原告らは被告に対し、損害賠償として、各金二六五三万二二四〇円及びこれに対する損害発生後である平成六年四月二二日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実は認める。

4  同4<1>の事実は認める。ただし、夏子の口唇が割れたり、口内炎を起こしたりしたのは必ずしも水分制限だけが原因というものではなく、人工呼吸器を皮膚固定していたことも大きな原因である。

同<2>の事実は否認する。ただし、本件手術の際、夏子が低温火傷様の受傷を負ったこと、この受傷について被告病院の医師が低温火傷と説明したことはあるが、右受傷は長時間にわたり同一の体勢で手術を受けたことによる圧迫傷害、換言すれば褥瘡の一種というべきであり、厳密な意味での火傷ではなく、また受傷の部位は背面部全体ではなくして背面のうち仙骨部及び右肩甲部と左右の踵部、左下腿である。

5  同5<1>ないし<4>の事実はいずれも認める。

6  同6の事実は認める。

7<1>  同7<1>の事実は否認する。

<2>  同<2>の事実は否認する。

夏子を個室ではなく、他の児童と一緒の病室のHCUに入室させたのは、個室は看護婦の目が常時行き届かず、重症患者の看護には不適切であり、HCUは清潔度において個室と相違はなく、HCUの方がより手厚い看護ができるからである。HCUと洗面所、トイレとの間のドアを開放しているのは病室内の空気を外部に排出して感染を防止するためである。すなわちHCU内の空気は隣接する洗面所及びトイレの天井部にある排気口から排出される構造になっており、空気感染を防止するためにはHCUと洗面所、トイレとの間のドアを開放しておく必要がある。

近年MRSA感染症が急増した原因は広域の細菌に対し抗菌力を示すものの、ブドウ球菌に対しては抗菌力が強くない第三世代セファム系抗生物質の使用が増えたためであるといわれているところ、被告病院ではその事実を念頭に置き、本件手術後MRSA感染を確認するまでの間に夏子に対し第三世代セファム系抗生物質の使用を避けているし、MRSA感染発見後にはパンコマイシンなどMRSAに最善とされる抗生物質を投与しており、夏子が易感染性患者であることを前提に入院後死亡するまで体力回復のために適切な措置を講じており、MRSAなどの感染症に罹患しないように夏子の体力を早期に回復するように尽くした。

<3>  同<3>の事実は否認する。

被告病院では毎日病院内を清掃し、また医師、看護婦は手洗いの励行、ウェルパス(消毒剤)による手指の消毒等により菌の伝染を可及的に防ぐなどしており、医療水準を十分満たした感染症防止対策をしている。

<4>  同<4>の事実は否認する。

8  同8<1>ないし<4>の事実はいずれも争う。

同<5>の事実は認める。

理由

一  当事者、夏子の治療経過、本件手術の施行など

請求の原因1ないし3の事実、同4<1>の事実(ただし、夏子の口唇が割れたり、口内炎を起こしたりしたのは必ずしも水分制限だけが原因というものではなく、人工呼吸器を皮膚固定していたことも大きな原因であるかどうか一時別とする)及び同5<1>ないし<4>の事実はいずれも争いがない。

二  そこで、夏子の死亡までの経過等について判断する。

前記争いのない事実及び証拠(甲一ないし一一、一二の一・二、一三の一ないし三、一四ないし二七、乙一ないし七、八の一・二、九ないし一二、一三の一・二、一四ないし二一、証人中江世明、同上金真喜子、同林泉、原告ら本人)を総合すれば、次の事実が認められる。すなわち、

1  夏子(平成元年六月二五日生)は原告ら夫婦の長女として生まれ、出生時には心雑音が認められず、順調に経過したが、一歳一一か月時に風邪で近医受診した際、心雑音を指摘され、その後まもなく神奈川県立厚木病院で受診し、心臓超音波検査で心房中隔欠損症(一次孔型)と診断され、投薬治療と定期検診を受けるようになったのち、平成四年一一月五日、同病院からの紹介(紹介状には夏子の病名を心房中隔欠損症(一次孔型)とし、心カテーテル検査及び手術の依頼が記されていた。)により被告病院で受診し、小児科の平石聰医師(平石医師)が診察にあたった。平石医師は、同月一九日、レントゲン検査及び心臓超音波検査を行った結果、夏子の病名を先天性の心臓疾患である心内膜床欠損症、心不全であると診断したが、さらに精密検査をするため、家族の承諾を得て心カテーテル検査を行うこととした。

2  夏子は平成五年一月二七日、被告病院小児科病棟に検査目的で入院し、一月二九日に心カテーテル検査を受け、著変なく終了し、同年二月一日、退院した。右入院時の夏子の身長は八八・九センチメートル、体重は約一一キログラムで、日頃小食でやや小柄ながら、排泄はひとりでできるようになっており、おとなしい性格であった。心カテーテル検査の結果、心内膜床に欠損があり、三尖弁(右心房と右心室の間の弁)と僧帽弁(左心房と左心室の間の弁)に軽度の血液の逆流があることを認められるとの診断結果が得られた。心内膜床欠損症は心内床の不完全な発育が原因となって生じる先天性の心奇形の疾患であり、夏子の心内膜床欠損症は心房の一次中隔に欠損があり(一次中隔欠損孔)、僧帽弁に亀裂があり、接合が不良で血液の軽度の逆流があるというものである。夏子の右疾患に対する治療方法は外科的手術しかなく、手術の時期としては二歳から五歳位までの間の就学前に行うのが多い。被告病院小児科と胸部外科の医師は夏子についての治療方針の検討協議をした末、手術を先延ばしにすれば精神的肉体的に大きな負担の伴う心カテーテル検査を改めてする必要も生ずるところ、既に夏子が三歳半ほどの年齢になり、心カテーテル検査を終えたこの時期に手術をするのが適切と考え、胸部外科において手術を行う方針を決めた。

3  胸部外科の中江医師はその後、原告甲野春子(原告春子)に電話し、近いうちに手術を行いたいが、その前にもう一度胸部外科で受診するように連絡し、その際、夏子が風邪気味であると原告春子が説明すると、市販の風邪薬を飲ませておくようにとの中江医師の指示であった。中江医師は同年二月一五日、再び夏子を診察した末、夏子の風邪症状については明らかな気道感染の症状はなく、血液検査においても既に白血球は正常化しており、軽微な炎症反応が見られるものの手術は可能であると判断し、翌一六日に入院するように原告春子に指示した。そこで、夏子は二月一六日、手術を受けるため、被告病院3A小児病棟に入院した。入院時の夏子の意識は清明で、運動は正常であった。中江医師は同日、原告らに対し、夏子の病態を説明したうえ、僧帽弁の亀裂を修復して一次中隔欠損孔を閉鎖するとの手術の内容、方法、輸血の必要性、手術の危険性、手術見込み時間などについてかなり詳細に説明を行い、原告らは手術することを承諾した。入院後の夏子の一般状態は安定しており、鼻づまりがある以外は風邪症状はなく、おしゃべりも盛んで、食事摂取も良好であった。

4  二月一八日朝の夏子の一般状態は良好であり、同日、中江医師の執刀により本件手術が施行され、贄医師らが助手として参加した。被告病院胸部外科では当時、夏子に対する本件手術のように幼児の心臓手術をする場合でも、事前に特にMRSA感染の有無を検査することを方針としておらず、夏子についても、伝染病感染の有無など一般的な検査はなされたものの、それ以上に進んで手術前に特にMRSA感染の有無を検査することはされなかった。被告病院は大学病院という大規模かつ高度な医療設備等を擁する医療機関であるが、当時、他の大学病院などで幼児の心臓手術をする場合に事前にMRSA感染の有無を検査することがどの程度なされていたかは詳らかでない。夏子の心内膜床欠損症は心房の一次中隔に欠損があり、僧帽弁に亀裂があって接合が不良で血液の軽度逆流があるという症状であったので、手術は心臓を露出させて僧帽弁の亀裂を修復して接合状態を改善し、一次中隔欠損孔を閉鎖することであり、この手術には心臓を停止させたうえ、人工心肺装置による血液の体外循環を図りながら手術台上の温度マットを補助にして夏子の体温を約二八度に低下させた状態で行われた。

5  手術は午前八時一〇分から全身麻酔が開始され、午前九時五分から執刀が開始され、中江医師は胸骨正中切開により心臓を露出させ、午前一〇時三分に人工心肺装置による体外循環を開始し、右心房を切開して僧帽弁の亀裂を修正し、一次中隔欠損孔をパッチを縫着し閉鎖して主要作業を終え、午後一時一六分頃、人工心肺装置をはずしたところ、左心機能不全が生じた。

中江医師は左心機能不全の原因として僧帽弁の逆流が残存していることや一次中隔欠損孔を塞いだパッチによって冠静脈洞に狭窄が生じている可能性があると考え、再び人工心肺装置を装着して体外循環を開始し、先にしたパッチをはずし、弁の逆流試験をして弁形成状態を確認するなどの追加作業を行い、冠静脈洞を拡大して左心房側に流入するようにしたうえ、再度パッチにて一次中隔欠損孔を閉鎖した。中江医師はその後再び心臓の拍動を開始させ、午後三時二九分頃、人工心肺装置をはずしたが、夏子の左心機能不全は容易に改善しなかった。中江医師はさらに人工心肺装置を装着し、午後三時五六分から午後五時九分、午後五時二一分から午後六時三八分の二回にわたり補助循環を施行したところ、依然として心機能不全は続くものの大量の強心剤使用のもとに補助循環から患者固有の循環に移行でき、比較的状態が安定してきたので、人工心肺装置をはずし、閉胸して、午後九時二五分頃に手術を終了した。夏子の疾患は中江医師が当初思ったより弁の状態が悪く、手術は予想外に難度の高いものであり、当初の予定時間約六時間を大幅に超過し、約一二時間二〇分かかって終了し、夏子はICU(集中治療室)に入れられた。

6  ICU入室後の夏子は依然として血圧が低く、心機能不全、末梢循環不全の状態であったので、中江医師を含む被告病院のスタッフは各種の強心剤、血管拡張剤の投与による抗心機能不全療法を開始するとともに随時体温、脈拍、血圧、血液の酸素分圧及び二酸化炭素分圧等を測定したり、胸部レントゲン写真の撮影、超音波検査をするなどして夏子の容態を監視し、治療にあたった。手術翌日の一九日には夏子の仙骨部、右肩甲部、左下腿及び左右の踵部に低温火傷様瘢痕の褥瘡が認められた。手術が心臓を一時停止させて人工心肺装置を使用して行われたので血液が末梢まで送られにくい条件のもとで手術時間が一二時間超の長時間に及び、心臓手術中に体位を変換することもできなかったので右褥瘡が発生した。手術台上の温度マットの温度調節が適切になされ、同マットが手術時に故障したことはない。夏子の術後の管理につき、形成外科の医師も協力し、消毒や体位につき専門的助言をなし、創部については開放創にして洗浄に努めた。

二月一九日から二月二〇日朝にかけて、徐々に心機能も回復してきたため、二〇日午前九時一五分頃、夏子の人工呼吸器がはずされた。その後一時間ほどしてチアノーゼが出現し、心不全傾向が強くなったが、酸素テントに収容し、血管拡張剤を増量したところ徐々に改善した。二月二二日ないし二五日は依然として心不全状態であり、二月二三日から軽口食が開始されたものの、精神的ストレスが大きく、歯ぎしりや髪むしり行為があったが、徐々に安定の方向に向かっており、被告病院では心臓に負担をかけないように飲水制限を行いながら心不全及び褥瘡に対する治療を続けた。

7  二月二六日、夏子はICUから3A小児病棟のHCU(ハイケアユニット)に移された。夏子の手術は約一二時間に及んだものの成功し、術後管理と体力回復もほぼ順調であり、術後八日目位は直接の手術侵襲から脱し、体力の回復を待つ時期であり、HCUにも個室はあるが、夏子については手術後、心不全状態があり、密な観察と重点ケアを必要とされ、個室では殊に看護婦の少なくなる夜間に看護婦の目が必ずしも十分に行き届かない恐れがあり、HCUの大部屋に入れられた。HCUの大部屋でも個室でもMRSA感染の危険性にさほどの差はない。MRSAを保菌した患者の場合には感染源対策としてその患者を隔離することが望ましいが、基礎疾患が重篤な場合、HCUなどの集中管理病室に置き、手洗いや清掃、器具の独立など感染対策を十分に行いつつ、他の患者と同居することを選ぶことも、MRSAは院内感染原因菌としては重要であるが近年弱毒化しており、感染症の危険性より基礎疾患への対応がはるかに優先する場合も多いので、許容されている。これに対して、MRSAを保菌していない患者の場合には、MRSAに罹患する危険性を避けて個室内に隔離するより、生命に関わる基礎疾患に対する監視と対応の必要性の方が大きく、逆隔離の必要性は乏しいといわれている。夏子はその後MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)の発症が確認されたが、HCU入室後、一週間余経過してからのことである。その後、夏子の創部はきれいで、肺雑音も心雑音もなく、手術後のストレスのため続いていた歯ぎしりも減少してくるなど全身状態は快方に向かっていき、同年三月一日には食事制限や飲水制限が解除された。

8  ところが、三月二日には創部がきれいで発熱もないが、夏子の肺野に雑音があり、全身状態がやや元気がないという状態になり、三月三日には再び飲水制限がなされた。三月四日に発熱があり、体温が三八・七度まで上昇し、被告病院の医師は胸水、喀痰及び血液を培養検査に出した。三月五日、体温が三九・二度に上昇し、左胸腔ドレーンからやや黄色い膿状の胸水の排出があり、手術創部からも黄色い膿の排出があったので、胸水と膿、尿、血液を培養検査に出し、それまで抗生物質セファメジンと抗生物質パニマイシンを投与していたのを変更し、合成ペニシリン製剤ペントシリン、抗生物質パニマイシン及び血漿分画製剤ガンマグロブリンの投与を開始したが、炎症所見は改善しなかった。検査用サンプルになにか微生物が存在するかどうかについては二四時間で判明することもあるが、MRSA菌が証明されるためには検査に四八時間以上を要する。

9  三月六日には三月四日に培養に出した胸水からMRSAが検出されたとの結果が報告され、次いで三月八日には三月五日に培養検査に出した胸水、膿及び尿からMRSAが検出されたとの結果が報告され、MRSA感染症に罹患していることが証明された。中江医師らはその後小児科医師と協議のうえ、同日より直ちにMRSAをターゲットにして、パニマイシンの投与を中止し、抗生物質パンコマイシンの投与を開始した。夏子は、三月八日、HCUの室内で、それまでの真ん中辺りのベッドから処置室近くのベッドに移ったが、同所も天井の回りにカーテンレールが設置されているものの、昼間はほとんどカーテンも開かれている状態の場所であり、原告らは、その頃、中江医師から夏子が感染症にかかっていると告げられ、同医師の説明ではMRSAが見つかったが血液には感染していないから大丈夫とのことであった。

その後も中江医師らは小児科医師と協議しながら投与する抗生物質の種類等を工夫し、三月八日から一七日まではパンコマイシン、ペントシリンを、三月一八日はパンコマイシン、ペントシリン、抗生物質ハベカシンを、三月一九日から二一日まではハベカシン、抗生物質ペンプリチンを、三月二二日はパンコマイシン、ハベカシン、ペンプリチンを、三月二三日はパンコマイシンを投与し、MRSA感染に対する治療を継続したが、夏子の感染症は改善せず、手術創部に感染症の中縦隔洞炎も併発した。

10  三月二三日、夏子の体温は三八ないし三九度で、血液中の酸素濃度が低下したため、被告病院の医師は酸素を経鼻投与し、午後三時頃、血液ガス分析のための採血中、当初は嫌がり、泣いたりしていたが、突然呼び掛けに対する夏子の反応がなくなり、喘ぎ呼吸になり、呼吸停止、心停止となったので直ちに挿管のうえ人工呼吸器を使用し、心マッサージ、電気ショック、強心剤及び昇圧剤の投与を行って心蘇生に努め、蘇生後再びICUへ転送した。

MRSAの深部感染症は体力の低下している患者に発生することのある極めて難治なものといわれ、夏子のMRSAは全身に進展し、その後も被告病院の医師は夏子に対して強心剤、利尿剤、人工呼吸による心不全治療、抗生物質による感染症治療を続けたが、血液中にもMRSAがある状態になり、翌二四日午前七時頃、再び心停止となり、強心剤及び昇圧剤の投与、ペースメーカーの装着等によって心蘇生を図ったが、功を奏せず、夏子は同日午前八時五一分死亡した。中江医師の死亡診断では直接死因は急性心不全、その原因は不完全型心内膜床欠損症とされた。

11  MRSAとはメチシリンに耐性の黄色ブドウ球菌の意味で、メチシリンはペニシリン系抗性剤の一つであり、日本では一九六四年に発売になった。当時幾つかのペニシリン系抗性剤が使用されていたが、黄色ブドウ球菌の中には既存のペニシリン系抗性剤に耐性の傾向があるものもできており、メチシリンはこうしたペニシリン耐性の黄色ブドウ球菌にも有効な新ペニシリン剤として期待されたが、黄色ブドウ球菌の遺伝子上の突然変異により新しい抗性剤のメチシリンですら無効な新たな黄色ブドウ球菌が生じたもので、これがMRSAである。MRSAはわが国では一九八〇年代に入り全国に拡大し、主として院内感染の原因菌として注目されるようになった。当初MRSAは普通の黄色ブドウ球菌のように毒力が強い化膿菌として恐れられ、実際、生命に関わる多くの重症感染症の原因菌となっていたが、MRSAがペニシリン剤やセファム系薬など様々な抗菌薬が無効のいわゆる高度多剤耐性菌へと変化するにつれ、毒力が低下し、感染症に至る事例が減少し、その代わりに咽頭や鼻腔、皮膚などに常在する例が多くなった。しかし、高齢者、術後患者、熱傷・外傷者などの易感染性患者の場合には弱毒ながらも感染症を引き起こす菌として注目されるようになった。MRSAの感染は多くは手指等の接触を介して感染する接触感染で、稀に空気に浮遊するものが呼吸により鼻腔に定着し移行する飛沫感染がある。

12  MRSAの発育速度はMMSA(黄色ブドウ球菌)に比べて遅く、MRSAが創部に感染し、そこに膿を形成したり、胸水内で発育するまでには少なくとも数日はかかるといわれているが、逆に保菌者に抵抗力があれば潜伏期間が非常に長期にわたることもある。夏子の場合、明らかな感染症発症は発熱が恒常的になり検体からMRSAが検出された三月四日であるが、夏子の感染時期としては厚木病院での通院時期、平成五年一月に被告病院でカテーテル検査をうけた時期、その後胸部外科を受診し、入院を経て手術時(術前に明らかなMRSAの存在は確認されていないけれども、鼻腔、咽頭、便などに無症状のままに細菌の定着をしていた可能性を否定できない。)や手術後の可能性も排除することはできず、中江医師は手術後まもない時期まではMRSA感染を感じてはおらず、HCU入院中が最も可能性が高いが、それ以上に感染時期を特定することはできない。感染経路については医師、看護婦などの医療スタッフや家族の手指あるいは医療器具を介しての感染のほか、夏子自身が鼻腔や皮膚に持っていたもので自己感染の可能性もありうるので、感染経路は不明である。

13  また近年MRSA感染症が急増した原因は広域の細菌に対し抗菌力を示すもののブドウ球菌に対しては抗菌力が強くないいわゆる第三世代セファム系の抗生物質の使用が増えたためであるといわれているところ、中江医師らの使用した抗生物質は第三世代セファム系の抗生物質の使用を避けており、人体の常在菌であるMSSA(メチシリン感受性黄色ブドウ球菌)の抗生物質によるMRSAへの変化の危険性を考慮したことによるものであり、感染症予防及びMRSA除去のための抗生物質投与としては最新医学の成果に立脚した内容とされる。

14  被告病院3A小児病棟には二九の空気の給気口及び排気口があり、給気口は空気調和機に取り込んだ外気をプレフィルター電気集塵機及びロールオマットフィルターを通し、温度調整をして室内に供給し、排気口は終日排気ファンを経由して室内の空気を屋外に排出する。こうした設計なので3A小児病棟での空気は中央部の排気口に向かって、清浄度の高いところから低い方へと流れており、中央部にあるトイレット等のドアが開いていても、そこから病室へ空気が流れていくことはほとんどない。空調が順調に作動し効率良く空気が流れるためには排出口に近い洗面所やトイレのドアを開放しておくのが、小児病棟はウイルス感染者が比較的多い部門であり、ウイルスの空気感染を防止するのに良いとされる。MRSAは主として接触感染による伝播であるため汚染が予想されるトイレ、排水口、洗面所などは化学的清掃が被告の委託した専門清掃業者により常時行われている。

15  被告病院には他にも小児病棟があるが、3A病棟は原則として三歳ないし九歳児を収容し、様々な疾患の様々な重症度の患者が入院している。平成五年当時の3A病棟のベッド数は三九床で、内訳は個室が三床、大部屋(六ないし七人室)が四室で合計二七床、HCUが九床で、HCUはICUに入るほどではないが重症度の高い患者を収容しており、二四時間看護婦の監視がされており、HCUは小児病棟だけにあり、他の病棟にはない。3A病棟の看護職員は当時合計三〇名で、婦長一名、主任一名、看護婦二二名、看護補佐四名、クラーク一名、保母一名である。看護婦の勤務形態は日勤、準夜勤、深夜勤の三交代制で、ローテーションを組んでいる。HCUについては看護婦が患者の容態を二四時間常時監視できる体制になっており、日中は三人、夜間でも最低一人の看護婦が常時在室し、患者の看護にあたっている。一方、個室は看護婦の目が殊に夜間には必ずしも常時行き届かない面がある。3A病棟では原則として面会者は入院児の両親に制限しており、その他の人はガラス窓越しにしか面会できない。面会時には感染防止のため病棟入口で専用のスリッパに履き替えて、手洗いもすることになっている。

16  被告病院の院内感染対策組織として本委員会と小委員会とがあり、本委員会は病院の代表者によって構成され、平成五年当時は年に二回開かれ、各部署から選ばれた人達で構成される小委員会は当時から年四回行われ、他にも個別ミーティングを月に二、三回行い(看護部では毎週)、情報提供と徹底が図られている。他に小児病棟に関わるものとして小児病棟運営委員会が年に二、三回行われ、不定期ながら小児病棟感染検討委員会も年に二、三回開かれ、実働する組織になっている。被告病院では昭和四八年に医療廃棄物についての委員会を発足させ、平成四年七月に廃棄物適正委員会を設置し、感染性廃棄物処理は計画性をもって処理している。もっとも、院内感染対策委員会などで定められたことが必ずしも一〇〇パーセント行き渡っていない点もある。

被告病院事務部に環境整備課が設けられ、衛生、家政、搬送の三係で、患者と職員の安全衛生、満足、安心、人間尊重を基本目標として、個人一人一人の考えや動きに依存することだけではなくして、システム化した流れを構築し、被告病院ではベッドセンターとリネンセンターを特設し、それぞれ衛生基準を設け、作業手順を作ってそれにしたがって作業を行うというパターン化によりより高度の清潔度を維持している。被告病院では清掃を専門業者に委託し、専門業者が細かい仕様に基づき原則として一日一回、掃き掃除とモップによる水拭きを、月に一回、ベッドを移動しての床磨き、ワックスがけなどをしている。もっとも、床面の清掃が不十分な日のあることもある。

17  被告病院の掃除内容は全国の平均的レベルと比べより高度であると見られ、環境の清潔度がどの程度維持されているかを追跡調査して調べるサーベイランスについて、環境測定基準を設定し、夏季、冬季の年二回、全病院的規模及び各セクション単位の小規模単位で、気積、粉塵、炭酸ガス、二酸化炭素、温度、湿度、気流、騒音などを調査し、落下菌、浮遊菌もチェックされ、院内の滅菌水等の細菌数なども調べ、その調査結果により個別の対策を取っている。もっとも、サーベイランスの頻度はやや不足しており、定点から3A点がはずれている。小児病棟は平成元年一月に環境細菌検査がなされ、3A病棟の環境からMRSAは検出されず、看護婦一名が健康保菌者として指摘された。3A、4A病棟のMRSA感染症は昭和六三年一件、平成元年一件、平成二年五件が確認された。当時は感染症発生報告義務がなかったのでMRSA感染症の実数はもう少し多いと予想されるが、このことを考慮に入れても被告病院のMRSA感染発症者はわが国における一般レベルより遥かに少ないとされる。染防止対策について、感染防止のためにはもっとも重要なのは手洗いといわれており、看護婦は一行為一手洗いの原則を励行し、石鹸と流水の手洗いを基本とし、適宜ウエルパス(消毒剤)で消毒している。こうした被告病院の感染防止対策、例えば施設の清掃、管理、医療従事者の手洗い、面会制限等については当時の大学病院の水準を上回るものとされる。

以上の事実が認められ、右認定を左右すべき証拠はない。

三  そこで、被告の責任の存否について判断する。

1  被告には原告らとの診療契約に基づき、入院中の夏子に対して本件手術を行うに際し、また手術前後における夏子の体調の管理につき万全を期し、MRSAなどの院内感染症に羅患しないように十分な管理をすべき注意義務があり、殊にMRSAについては近年その発生と病院における衛生管理が問題とされており、被告には感染防止対策として施設汚染の定期的検査や病院内における対策委員会などの対応組織の設置などの対策を講ずべき注意義務があったこと(請求の原因6)は争いがない。

2  原告らは、被告病院において、夏子の入院前又は手術前にMRSAに感染しているかどうかの有無を検査すべきであった旨主張(請求の原因7<1>)する。

前記認定事実によれば、夏子のMRSAの感染と死亡との間には相当因果関係があるうえ、中江医師は手術前に夏子につき特にMRSA感染の有無を検査することをしなかったものであるところ、確かに原告ら主張のように幼児に対する心臓手術という長時間の大きな侵襲を伴う行為をする場合には手術を受けたのちの患児は易感染性患者と呼ばれるものにあたり、その後にMRSAに感染すれば、極めて難治であるので手術前にMRSA感染の有無を検査し、手術の回避その他の適切な措置を取るのに役立てることも十分考慮に値する指摘であり、心臓外科手術の場合には手術後にMRSA感染を併発すると生命にかかわるので術前患者の保菌状態を調べるべきであるとする医学者の見解もある(甲二一)けれども、本件手術当時、被告病院胸部外科では本件手術のように幼児の心臓手術をする場合でも、事前に特にMRSA感染の有無を検査することを特に方針としておらず、また他の大学病院などで幼児の心臓手術をする場合に事前にMRSA感染の有無を検査していたかどうかの実態は不詳であるので、前記医学者の見解は実践として確立していたものではなく、啓蒙的な意見にとどまるというべきであり、被告病院に手術前に夏子につきMRSA感染の有無を検査すべき注意義務があったものと認めることはできず、また後記のとおり夏子のMRSA感染の時期及び経路は不明であるので、MRSA検査をしなかったことと夏子の死亡との間に相当因果関係があるものと認めることもできない。

3  次に原告らは、被告病院は手術中における夏子の体調管理を怠り、低温火傷を発生させ、易感染性患者になった夏子を個室に収容して隔離するなど適切な術後管理をせず、MRSAに感染させた旨主張(同<2>)する。

前記認定事実によれば、夏子は本件手術中に仙骨部等に低温火傷様のものを負い、心臓手術に加えて一層体力を減退させることになったが、温マット上で人工心肺を使用しての長時間にわたる手術で血液が末梢まで十分に流れず、手術中に体位を変換して同一部位が長時間ベッドで圧迫されないようにすることも困難であったことにより生じた褥瘡と認められ(被告病院の温マットの温度調節等のミスがあったものと認められない。)、また夏子のMRSA感染時期についてはHCU入院中が最も可能性が高いけれども、手術前などの可能性を排除することはできず、それ以上に感染時期を特定することはできないし、感染経路も主に接触感染なので医師などの医療スタッフや医療器具などを一応考えられるとしても断定することはできないところ、夏子がHCUに入室したのは術後一週間ほどして比較的容態が落ち着いてきたので被告病院医師の判断で移したものであり、HCUは重症患者の看護のために看護婦が患者の容態を二四時間常時監視できる体制になっている一方、個室は看護婦の目が必ずしも常時行き届かない面があるし、夏子のように基礎疾患が重篤な場合、HCUなどの集中管理病室に置き、手洗いや清掃、器具の独立など感染対策を十分に行いつつ、他の患者と同居することを選ぶことも医療の実践において許容されているところであるから、医師の裁量の範囲内に属する事項と認められ、個室に入れなかったことを注意義務違反に当たるものと認めることはできない。

4  さらに原告らは被告病院では職員に対する定期的なMRSA感染検査をすべきであり、MRSAの感染防止のサーベイランスなども十分ではなかった旨主張(同<3>)する。

前記認定事実によれば、確かに被告病院では昭和六三年から平成二年までに数件のMRSA感染症が確認された実情があるが、当時感染症発生報告義務がなかったのでMRSA感染症の実数はもう少し多いと予想されることを考慮に入れても被告病院のMRSA感染発症者はわが国における一般レベルより遥かに少ないとされるところであり、また院内感染対策委員会などで定められたことが必ずしも一〇〇パーセント行き渡っていない点もあり、改善すべき点を指摘することができるけれども、施設の清掃、管理、医療従事者の手洗い、面会制限等の被告病院の感染防止対策は総じて当時の大学病院の水準を上回るほどのものであり、また夏子に対する感染症予防のための抗生物質投与の内容等やMRSA確認後における抗生物質の投与の内容など当時の医療水準に照らして医学上有効適切なものと認められるものであり、その他夏子の体調管理にも特に不適切な点は見当たらず、MRSAの感染防止の体調管理などにつき注意義務違反にあたる事実があるものと認めることはできない。

5  そうだとすると、夏子は本件手術前は前記心臓疾患があったとはいえ順調に成育していたものであり、MRSAを発症したのは入院後、本件手術による体力低下後まもなくのことであり、当時は被告病院の管理下の状態にあったものであるけれども、被告に原告らとの診療契約に基づく債務の不履行があり、かつ、その不履行によって夏子がMRSAに感染し、死亡するに至ったものということはできず、夏子の死亡につき被告に債務不履行による損害賠償責任があるものということはできない。

四  よって、原告らの請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないからこれをいずれも棄却する。

(裁判官 榎本克巳)

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